●ズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルの演奏で、ベートーベン『第9交響曲』を、グランセプターで再生してみました。第四楽章は不協和音の前奏が弦楽器抜きのトッテイではじまります。それからチェロとコントラバスのレシタティーウ゛が主題に入っていくブリッジをつくります。レシタティーウ゛は転調を重ね、いろいろな音の世界に入っていきます。その間に第1楽章から第3楽章までの各楽章の回想が挿入され、そのたびに我に返ったようにレシタティーウ゛が繰り返されます。常に前のレシタティーウ゛を否定し続け、やがて自ら希望するニ長調の和音をさがしあてます。レシタティーウ゛は始め力強く激しいエネルギーをみなぎらせていますが、繰り返されるうちにその表情は柔らかくなっていきます。奏者は本能的に弾き方を変えていきます。その緊張がスーっとゆるんでいくときの音色、そのエネルギーの推移を、グランセプターが手に取るように描き出すのは、低域再生能力のすばらしさ、位相のひずみを完全に取り除いたことによる精密な音像定位によるものです。
●やがてO Freunde,nicht diese Tone!という、あのバスバリトンによるレシタティーウ゛、やがて、Freude,Freude...から合唱が受けついで、いよいよここから有名なメロディーで歌いだされます。そのときの歓びの気持ちはさきのオーケストラだけのそれよりさらに大きく、その表情が歌と、伴奏の弦のピチカートの弾むような、浮き立つような音の刻みにあふれます。グランセプターはこのはずみを生き生きと再現しますから私たちもバリトンの歌につられて歌いだしたくなるぐらい気持ちがはずみます。オーボエとクラリネットのオブリガートが非常に明るく、その上を遊んでいます。
●バリトンがメロディを歌い終わって、コーラスが入ってきますが、ここではソプラノが抜いてあります。ベートーヴェンはここでのソプラノの使いかたが慎重です。バリトンの歌が次第に音域的・表情的に拡大していく状態を、ベートーヴェンは望んだのです。つぎにソリストになりますが、こんどはテノールとバリトンで入り、つぎにアルトが、そして最後にソプラノが加わります。つぎにコーラスにもどったときには、やっとソプラノ抜きでない4部になっています。このように徐々に拡大して一つの頂点を築いていく......そこに至る書き方は秘密です。そのようにしてこの壮大な楽章が構築されていることを、ひとつの感動とともに実感させてくれるのがグランセプターです。
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