●ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』(ダニエル・バレンポイム指揮、パリ管弦楽団)を聴いてみました。やっぱり思ったとおり、一番最初にあらわれるフルート・ソロの音色の変化の微妙さを、グランセプターは心にくいほどの周到さで再現してくれました。
●このフルート・ソロによって奏でられる、有名なメロディーは、音色的にも、音程的にも、非常に幻想的な要素をもっています。このはじまりの音は「♯ド」です。「♯」のつかない「ド」の音をフルートで鳴らしますと、非常にストレートに明るい音がでますけれども、「♯C」は、ちょつと音程がきまりにくいし、少しヴェールをかぶったような、こもったような音なのです。
●このフルートは、「牧神」を示すものとされています。ドビュッシーはマラルメの詩『牧神の午後』への深い共感とともにこの管弦楽曲を書いたとされています。「なんと明るく/重い眠りにまどろむ空気のなかに/彼女たちのかろやかなバラ色のからだがひるがえったことか/わたしが愛したのは夢だったのか?」牧神は二人の水の精(ニンフ)たちを抱いたように思ったのだけれども、それは夢だったのかもしれないノノその不確かさは最後までつきまとうのです。「♯C」ではじまるフルートはそんな惑いに心乱れる牧神を心にくいほどに描きだしているのです。
●これをもし半音下げて、ふつうの「ド」からはじめたら、この曲の雰囲気はだいぶ変わったものになってしまったことでしょう。このように、おなじフルートでも、音域によって、出す音によって、微妙な音色の変化を示します。
●ドビュッシューがあえて選んだヴェールをかぶったような音の雰囲気をグランセプターが正確に提示してくれるのは、音楽再生の最大の壁となっている「時間ひずみ」を発見しこれを取り除いた結果です。このひずみの重大さから見れば従来知られていた「高調波」ひずみなどは微々たるものにすぎません。グランセプターではもちろん従来いわれてきたひずみも桁ちがいに良くなっています。
●この曲はそんなに大きな編成をとらず、これ以上繊細には書けないというぐらいの繊細さで書かれていて、音色が非常に重視されています。この曲は、その美しさだけを評価するのではなくて、もっと音色の面で評価されてよい名曲だと思います。
●少し丸みをおびたフルートの音をそのまま拡大していくと、ホルンにつながっていきます。フルートの音からホルンに入っていくのが、非常にスムーズで、切れ目がありません。自然に入っていって、そしてそのつぎのフレーズにはいっていきます。しかし、フルートからホルンに変われば音色が変わります。そして音のひろがりが変わります。そのフルートとホルンの背後に、ハープがグリッサンドして、その音色の対比が非常に新鮮に聴こえます。
●このようにしてドビュッシーはアコースティックな意味での音場の広がり、あるいは狭まりを曲のなかで指定しているのですから、再生時にも指定されたアコースティックな音場が再現されないと、曲が死んでしまいます。
●このデリカシーのかたまりのような『牧神の午後』をほんとうの意味で再生できるのはグランセプターだけなのかもしれません。
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