●グランセプターをとおして聴いた、シューベルトの『交響曲第8番(未完成)』(コーリン・ディダイス指揮、ボストン・シンフォニー・オーケストラ)は、わたしたちに思いがけないさまざまなことを発見させてくれます。
●この曲は一般にただロマンティックでひよわな曲とみられがちですけれども、CDプレーヤーのスタート・ボタンを押したとたんに、このダランセプターは、この曲についてのそういう見かたがあやまりであったことをはっきりと教えてくれます。
●最初に聴こえてくるのは、チェロとコントラバスの前奏的なオーケストレーションです。グランセプターによってみごとに再現された、そのコントラバスの響きの分厚さ、低音の持続力は、『未完成』というシンフォニーが実は非常に力強い曲で、その曲がいまはじまろうとしているということを、わたしたちにひしひしと感じさせてくれます。
●とくにコントラバスの一番低い弦の、非常にどっしりとした低音がはっきりと非常にリアルな雰囲気をもつてつたわってきます。その次に入ってくる、ファースト、セカンドのヴァイオリンの刻みは、そのコントラバスの低音の雰囲気につながっていくものです。そのつながりの必然性が、しらずしらず納得できるのはダランセプターの底知れぬ再生能力を背景とした説得力のたまものです。
●そのつぎのあの有名なメロディーの非常に微妙な音色をユニゾンで鳴らしていくオーボエとクラリネットに、シューベルトが託したものを、このグランセプター以上にはっきりと描きだしてくれるスピーカーがこれまでにあったでしょうか?
●シューベルトはこう考えたにちがいありません.....(オーボエの音が中心にほしいのだけれども、オーボエの音だけでは鋭角的すぎるし、ちょっとくせが出すぎる、それにメロディーをもう少しぼかしたいし、少し暗さを加味したい、だからクラリネットにオーボエを添えて、音のほの暗さを加えよう)
●オーボエとクラリネットのバランスの絶妙な再現ができるのは、グランセプターがあらゆるひずみ、特に時間ひずみを徹底的に取り去ってしまったことによるのです。
●やがてホルンが強奏されるとき、そのホルンの音色はクラリネットの音色の暗さと太さとを拡大したものだということがはっきりとわかります。ひとつの音色に対して、そのつぎのフレーズをただやたら勝手にきめたのではなくて、そのホルンの音色は必然的にでてきたものだったのです。
●はじめの音色がつぎの音色を誘発していく、シューベルトのシンフォニーの構造のそういう強固さを、グランセプターはわたしたちにあらためて発見させてくれます。
●メロディーを鳴らしている木管の下で、チェロとコントラバスのピチカートが非常に力強く序奏を刻みます。その力強さが全曲をつらぬいて持続しているのはグランセプターの非常にきっちり締まった低域再生能力によるのです。
●グランセプターは、『交響曲第8番』にひそんでいるかぎりない魅力を、ひとつひとつわたしたちにさしだして見せてくれますけれども、そうやってさしだされた魅力のひとつひとつが、実はグランセプターの魅力でもあるという、音楽とスピーカーのすばらしい関係をわたしたちはここに発見するのです。
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