●ベルリオーズの幻想交響曲もスピーカーに厳しい対応を迫る複雑な技巧にみちています。
●ヴァイオリンが最初のメロディーを奏でると、そのうしろに、どこからともなく、フルートの輝かしい音色が、それを引き立てるように、かぶさっていきます。フルートはときに消えて、ヴァイオリンだけになり、さらにふたたび加わっていくのですが、演奏会場で注意深く聴いていると、その音色の微妙な揺れ、オブラートをかけたような効果が、聴きとれるでしょう。そこまで、注意深く聴いていない人たちにも、それによって醸し出されるふしぎな雰囲気が感じ取れるはずです。
●そんなかすかなニュアンスのなかにも、ベルリオーズの感性の表現の飛騨があるとすれば、それを再生しなければ、幻想交響曲を再生したことにはなりません。
●しかし、それは至難のことでした。
●あるスピーカーで聴くと、それがぼけて、濁りとして混ざってしまい、なぜそこにベルリオーズがフルートを入れたのか?理解に苦しむような音で鳴ります。あるスピーカーで聴くと、フルートが弦のうしろに重なるのではなくて、その二つのパートがはっきりと分離してしまいます。
●なぜ、スピーカーはベルリオーズの微妙なオーケストレーションを忠実に再生できないのだろうか?それをつきつめていった私たちは、これまで問題とされなかった二種類の歪みに眼を向けました。
●直接音と間接音とが複雑になって生じる時間成分の歪みです。二つの歪みを徹底的に抑え込んだこのスピーカーの完成によって、私たちはいま『幻想交響曲』を完璧に再現することができます。
●弟4楽章のトゥッティーにおいても、それぞれ微妙にちがう弦の拡がり、管の拡がり、打楽器の拡がりを、音楽的な意味で、これほどよく「分離」し再現できるスピーカーを私たちはこれまで聴いたことがありません。
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