タイムドメインは研究所創立以来、良い音を求めて研究を続けています。
基本となる理論技術の1つは「時間領域」の考えです。
一連の記事は「ラジオ技術」誌83年7−10月号にに連載したものです。「時間領域」について分りやすく書かれていますので、再録しました。
10余年を経ていますが、周囲情勢だけを時代に合わせて読み替えていただけば、理論と技術はそのまま通用しますので、原文には手を加えず、以後の新しい資料や解説は本文中にリンクしておくことにしました。(980904)
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高忠実度再生への新しいアプローチ(4)
- ステレオ再生における空間ひずみとは
- 「ラジオ技術」 83年10月号より
ステレオ再生では空間ひずみも重要
従来の物理特性を頼りにつくられた、音楽に弱い物理特性スピーカ、反対に、物理特性に頼らず耳でつくられた音楽的スピーカ、どちらをも不満とし、ほんとうの音楽再生を目指して音楽を聴くことから始めて、音楽再生の必要条件、オーディオ理論と技術の見直しへと進んで来ました。
従来とはずいぶん異なったコースをたどってしまったようですが、これが本来通るべきコースだったのだ、と思えます。正弦波によるf特、ひずみは間違った道とはいえませんが、音楽再生の必要条件ではあっても、十分条件ではなかったのです。
f特、ひずみも究極の理想特性、すなわち、振幅・位相完全フラット、高調波ひずみゼロなら、時間領域特性も理想になります。
辿る道は異っても、至る頂上は同じ、ということです。だが、理想に至ることはありません。もう十分と思っていたことや、何の問題もないとされていたものが、後にそうでなかったということは、オーディオの歴史において枚挙にいとまありません。われわれは常にオーディオの求道者です。どの道にいるか、どの道を進むかは重要な問題です。
ステレオ再生を条件に、音楽再生の害となるひずみを従来の物理特性を含めて整理しました(第1表)。他の分類もありますし、知られているひずみで挙げてないものも多くあります。重複類似のものや、原因結果関係のものもあって、すっきりしたものではありませんが、考えの大要を示すためまとめました。
周波数ひずみと振幅ひずみはよく研究されており、オーディオ誌でも常に見ます。十分わかっていると思われているたけに、反面誤った決めつけもあり、害となっている例も多くあります。
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第1表 ステレオ再生でのひずみ(主としてスピーカーシステムについて) |
時間ひずみと空間ひずみについては、あまり研究を見受けませんが、音楽再生にとっては重要項目です。前回まで時間ひずみについて新しい考えを示し。リバーブひずみ、マルチパスひずみ、瞬時音色等の提案をしました。
空間ひずみについては、オーディオ誌にも、定位が良い・悪いの試聴評価以外にはほとんど記事を見かけません。音楽にとって高度な表現のための重要項目と思いますので、今回これについて吟味したいと思います。
定位にはレベル差と時間差が競合
従来のステレオにおける定位とは、そのほとんどが左右スピーカ出力音圧レベル差で生じる方向定位をいっています。再生システムにはこの原理に従ってバランス・コントロールがありますし、録音用調整卓ではモノーラルで録った信号を左右チャンネルに配分して方向定位を決めるための、パンポットが主役的位置を占めています。
このように、レベル差だけでも方向定位はするのですが(第1図B)、それだけでは不満です。従来のシステムは時間領域でそれほど忠実ではなかったので、それでも良かったのですが、試作機のように忠実度が向上すると、位相・時間を含んで定位を考えねばなりません。
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第1図 ステレオ方式録音・再生の代表的なモデル |
インパルスを試作スピーカの左右から同時に再生します。2等辺三角形の頂点で聴くと、インパルスは左右の耳に同時に到達するので、音は中央に位置します。遅延装置で右のインパルスを遅らせると。音は左のスピーカへ寄ります。先に到達した方から音が来たように聴こえます。
次に、時間差なしでレベル差だけをつけてみます。2dB、3dBとレベル差をつけても音は中央から聴こえます。普通だとはっきり音が移動する値ですが、インパルスは左右の耳に同時に到達するので、中央から聴こえるのです。5dB、6dBと差をつけて行くと、あるレベルから音は片方へ行ってしまいます。片方の音しか聴こえなくなったからです。時間差が支配し、レベル差は関係しないようです。
音楽やアナウンスのような過渡的信号ではどうでしょうか。これはレベル差でも左右に動きます。時間差でも動きます。時間差で動かした方が音像ははっきりしているようです。
レベル差と時間差は競合します。右を遅らすとして、600μSほどの差で音像はほぼ左のスピーカへ寄ります。ここで右のスピーカ・レベルを上げると5dBほどでもとの中央に戻ります。時間情報とレベル情報が相反する位置を示す結果の中央定位ですので、定位の質は良くありません。ということは、反対に、両情報が一致した時、質の良い定位をすることを示唆します。ステレオ再生では、女声や6.3kHzのバンド・ノイズで中央定位が悪いという研究発表がありますが、このスピーカでは良い質で定位します。
過渡音による定位実験も、時間的忠実度の低い従来システムで行うと、レベル差定位が支配的になるようです。
連続音ではレベル差が支配的になります。レベル差や時間差だけでは原理的に方向しか決まらないのですが、レコードを良いシステムで聴くと、奥行や音像的なものを感じます。遠近を感じるのは第2表のように種々の説があります。いずれにしても高度微妙な情報ですので、忠実度が高くないと再現できません。
第2表 遠近感と物理特性
| 近い | 遠い |
音の大きさ | 大きい | 小さい |
音色 | はっきり | ぼやける |
高域のf特 | フラット | 低下 |
直接音と残響 | 直接音多い | 残響多い |
頭部伝達関数 | − | − |
時間領域で考えると、第2図のような原理で音場・音像を再生できるように思います。音源定位の従来の研究が方向情報を頭部伝達函数の周波数領域で考えていたのに対して、東京大学の平中氏等は耳介系応答の時間領域で考えておられます。上下、左右、前後等の定位に成功されていますが、的を得たものと思います。
試作機のホーンの中に小さな障害物を置いて波面を乱すと、マルチパス・ゴーストひずみで、従来システムの音に近づきます。音の忠実度が低下すると同時に、定位が悪くなります。方向よりも遠近、拡がり、音像のリアルさ、大きさ等が損なわれることから、この考えの正しいことが推測できます。
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第2図 収録の様子と遠近のシミュレーション | 第3図 必要条件としての指向性 |
指向性をどう考えるか
指向性についても、どうあるべきか決まります。従来は指向性が広いことを「良い」といって来ましたが、広いと良いとは違います。劇場用、PA用はその性質上広い方が良いのは明らかですが、これをそのままリスニング・ルームに適用するのは誤りです。
第3図を見てください。時間情報も加わった素晴らしい音像定位を求めるなら、中心線上からあまり離れるわけにはいきません。レベルなら中心からはずれてもバランス・コントロールで補正できますが、時間は補正できません。
15度までは厳密な忠実度が要求されます。30度を保証すれば十分でしょう。それ以上は害にならないよう処理したのが「良い」指向性です。60度以上の成分は側壁で時間差の少ない強い1次反射音を生じるので有害です。演奏会場での同じ反射音は有益ですが、演奏会場と再生音場では使命・原理が異なるので、混同してはいけません。この混同は、スピーカを含む音響機材にも室内音響についてもいえることで、心すべきことです。
第4図Aの試作機では周波数領域、時間領域とも、必要な角度においてまったく等しい信号が得られています。微少な音色とリアルな音像を瞬時瞬時空間に再生するため必要な条件です。ホーン内のマルチパスひずみやリバーブひずみを取り除き、壁面設計で放射角をコントロールし、コヒーレントな波を得ています。
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第4図A 試作ホーンの指向特性とインパルス応答 | 第4図B 外国産ホーン(レンズ付き)の指向性とインパルス応答 |
S/Nと聴感
良いシステムは音像定位に優れていて、また音像定位に優れているのでほんとうの音が再生できる、ともいえます。
それぞれの成分が本来の空間に集まり、色ずれがないので、ほんとうの音色が再現できるのです。8月号の位相と時間ひずみの項で、成分の割合が正しくとも、時間を無視して配分すれば、どの時間においても正しい音が再生されないことを強調しました。同じことが空間についていえます。隣接する2つの楽器の音が混じってしまうと、よく似た音になり、本物の音楽に比べて色数が少なくなってしまいます。
人間には多勢が同時にしゃべっている中から、1人の話を聴き取れます。カクテルパーティ効果と呼ばれます。優れたパターン認識能力でS/N0dBの聴き分けをしているのでしょう。時間的、空間的に成分を正しく合成すれば、この能力はもっと向上します。
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第5図 SN比0dBの音の諸特性。この状態でも音楽の内容ははっきりわかる |
測定と聴感の差を示す実験の1例を示しましょう。
ピンク・ノイズと1kHzの正弦波でS/N0dBの音を作ります(第5図A)。聴くとはっきり1kHzがわかります。短時間20mSのf特はBです。長時間f特はCになります。ノイズは平均化されるので、Bよりよくわかります。全成分では0dBでも、信号成分の付近をみれば10dB近いS/Nがとれているのでよくわかるのかも知れません。また、付近の成分と信号は性質が異なるので、自己相関をとれぼDに示すように、信号はさらに明らかになります。人間の聴覚にはこのような機能があると思います。
次に、1kHzのレベルを聴こえなくなるまで下げてみます(第6図A)。-20dBくらいまではわかります。音楽ではジャンルの区別がつく程度です。ノイズをステレオにして空間的に散らし(現実のノイズは全要素がランダムなのでそうなる)、信号をモノーラルにしてパンポットで任意の位置に定位させると、さらに数dB以上よくわかるようになります。
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第6図 可聴限界と思われるときの状態。音楽はジャンルの判別がつく程度 |
忠実度の低いシステムではこうはなりませんが、周波数、振幅、時間、空間のすべてにおいて忠実度の高いシステムでは、定義による測定値S/N=0dBのさらに20〜30dB下まで使えることになります。
新しいアプローチのシステムで、ダイナミック・レンジが良く聴こえる理由です。微妙な音色、音像再生のできる理由でもあり、時空間忠実度再生の必要な理由です。
空間音色の問題とは別に、音像定位そのものも魅力てす。
オペラの舞台や人物の動きがリアルに再現されたり、コーラス一人ひとりと声の表情がはっきりしたり、オーケストラの弦の数、一つひとつの音色、そして演奏がわかるのを聴けば、音像の忠実再生が音楽再生の必要条件であることを痛感させられます。
S/Nについて加えておきます。
ノイズ・レベル以下に信号のないデジタル方式と、ノイズ・レベル以下の信号成分が有効なアナログ方式ではS/Nについて同一の論議はできません。また同じ理由により、評価に用いる機器の質・レベルにより評価が異なります。
データ上のダイナミック・レンジと聴感上のある種のそれを上げるだけなら、ノイズ・ゲートでもよいわけです。この場合、聴感上のもう1つのダイナミック・レンジは低下します。データが何を意味するか、聴感ではどうなるか、常に考えていただきたいと思い、蛇足を加えました。
注)ノイズ・ゲート=マルチモノ録音で他の楽器の音の廻り込みを防ぐため、一定レベル以下の信号を切り捨てる装置。
試聴について
この研究は音楽と音を聴くことから始まっています。
測定や理論から始めると、事を誤る恐れがあります。理論や物理特性については、まだまだわからないことが多いからです。耳や音楽は、昔から確かなものとしてあります。自分の耳と聴きたい音楽をスタートにオーディオをやっていただきたいと思います。
試聴は学会や研究所、オーディオ・ジャーナリズムやマニアが行っていますが、理論や測定データ同様、気になることが多くあります。紙数がないので最後にちょっとだけ書いておきます。
1. 試聴の目的と試聴の条件を十分吟味する必要があります。定位の悪いシステムで定位に関するデータを得ようとしたり、ひずみの良くないシステムでひずみの検知限を得ようとする等、ナンセンスです。学会の定説となっているデータにも、実験年代が古かったり、機材の質が低かったりで、再検討を要するものがあります。超高忠実なシステムで追試をすれば、異なるデータ、結論となりそうなものが多くあります。
2. 多くのパネラーを集めて試聴し、一対比較法で結論を出す方法がオーソライズされていますが、あまり有効でないものまで安易に使われているように思います。高度な音の評価は、他の感能検査のように、ほんとうの専門家がやるべきだと思います。香水、ワイン等では素人ではできない高度な評価を正確に専門家がしています。
3. 限界値などのデータは、統計のどのような価かチェックして使うべきです。普通人の平均値を超マニア用の機器の基本データに使う等の誤用は常にあることです。
4. 音の評価語としてオーソライズされたものがありますが、もっと具体的、客観的な表現をしてほしいと思います。ドラムの何がどうか、弦のどの部分が…等です。漠然とした表現では高度な音の様子の見当はつきません。
5. オーディオ機器の良否の判断には、それが、質の差か、色付けの差かを常にチェックしておきたいと思います。忠実度が向上した場合は情報量が増します。すなわち、色数が増し、今まで区別できなかったものが区別できます。音像定位についても同様です。色付けの場合は、それが好ましく聴こえても、情報量は変らないか低下します。良いというのが、色付けとして好ましいのか、質的に良いのか、これで区別できます。最終的には質的向上を計らなければ、高いレベルの音楽再生はできないと思います。
最後に、私の言葉としていったのでは権威がないので、黒木総一郎氏の著書「聴覚の心理学」よりC.J.LEBELの言葉を引用させていただきます。“IF IT MEASURES GOOD, AND SOUND BAD, IT IS BAD.”“測定して良くても、聴いて悪ければ、その音は悪いのだ”
自分の耳を信じて、良い音楽を求めてオーディオ道を進んでください。
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