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演奏は過去百年の間に、作曲家の自作自演から完全に独立した音楽の一部門となり、「指揮者」もただの棒ふりや音頭とりから、一人前の演奏芸術家となりました。
芸術家となったうえは、音画(ビジョン)の理想と勇気と良心とが必要です。その面から、指揮者は何をするかを考察してみましょう。多少専門的にはたるかもしれませんが…。
近々過去百年来の所産である、われわれ演奏家というものは、新作も旧作も一切、われわれに伝えられた楽譜というものに頼って、上演のプランを立てたければたらないのです。
しかし今から百年前は、ほとんど自作自演の時代であったのですから、その楽譜の原稿は、単たる上演の覚書程度で、今日われわれから見て、その記号などの不精密さには、ただただ驚かされることが多いのです。
しかし、今日なんら不思議はないので、当時の作曲者は多くの場合、みずから初演を指揮指導したのですから、新作がはじめて音になって試演される時の強弱などの修正は、一々の場合にあたって演奏中ほとんど口伝されるので、精密なニュアンスなど、よほど大勢の助手がいないかぎり、総譜の細部にわたって記入されて、後世に伝わるというようなことはあり得なかったのです。
それで結果から見れば、作曲家自身の立会いのもとに行なわれたはずの、初演記録の決定版は、指揮に用いられた台本(総譜)でなくて、演奏員の使用した各楽器のパートの方にある場合が多いのです。
幸い、この楽譜の多くが、今日なお、ベルリン、ウィーン、パリなどの国立図書館に保有されています。
ですから、この初演に使用されたパートと今日印刷されて流布されている作曲者の書きおろしたままの原譜とを、比較対照することは、まず第一の重要な研究であるべきはずです。
指揮の技術の修行ならば、世界中どこでもできます。しかし最後の仕上げは、ウィーンやベルリンの国立図書館に日参して、はじめてできあがるのだということは、遺憾ながらまだ一般の注意をひいていません。
今日印刷されている、一八四〇年以前の総譜が、作曲家の意向をそのまま完全に伝えていると信じている人があったら、それは重大な誤謬です。
戦前までは、イギリスやアメリカからも、そうそうたる指揮者たちが、これらの図書館に保存された、貴重な未発表の古文書をしらべにたえず訪れてきました。
ベルリンの国立図書館では、ワインガルトナー夫人やロジンスキーの依頼を受けたというような人たちが、紹介状をもって一つのf、一つのritardandoの真偽を調べにきているのによく会いました。
これらの図書館で、古書(楽譜)のお守りをしている、アルトマン、ウォルフ、シューネマンなどの諸博士は、ある意味で指揮者や良心的な演奏家にとって、生涯の指導者であるわけです。
いまから十数年前、トスカニー二が《レオノーレ》序曲第三番(べートーヴェン)の中の一音の誤りを見出したのも、初演当時の古いパートを調べた結果でした。
一つ実例をあげましょう。
ここに、ロマンティックなウェーバー《魔弾の射手》序曲の総譜の第一ぺージがひろげられています(例50のA)。
ごくゆるやかなテンポで、最初の一小節は柔らかい三オクターヴのCの音があたかも森の深さを表わすかのように盛りあがって、次の小節には強音となって響きわたるのです。
もちろん、この盛りあがり(Crescendo)のはじまりは、最弱音(pp)が要求されています。もっと近代の作家たらばpppとでもppppとでも書きたいくらい、静かな柔らかい音ではじめたいところです。
このはじめは、弱ければ弱いほど、柔らかければ柔らかいほど、盛りあがりに幅がつくわけですから。
ところで、これを原譜どおりにやるような無神経な指揮者や演奏家がいたとしたらどうでしょう。
まず第一、オーボエやファゴットの低音が、ここに望まれるような特別柔らかい弱音を出すことは絶対に不可能です。
指揮者がしいて制止するなら、かならずいまわしいキクス(管楽器の吹き損い)が起こります。
けれども、もし熟練した奏者がそろっていたとしたら、おそらく自分の楽器の性能に順応し、この場合にオーケストラ全体の企図する効果を完全にあげるために、各自がめいめいの判断によって、だいたい例50の(B)のようなふうに演奏すると思います。
これはほとんど常識事項です。しかし指揮者は、団体の音楽的規律をこわさないために、すべて原譜とちがった行動がなされる前には、かならず具体的にその程度について進んで発言をし、談合して、おたがいに了解のうえ実行すべきなのです。
次に(C)にとり出されたように、弦楽部だけを観察すると、この三オクターヴにわたる同音(ユニゾン)のうち、最上部のC音は、大型の管弦楽団を基準にとれば、第一、第ニヴァイオリン計三十人、中央のC音は、ヴィオラとチェロ計二十二人1それまではまだいいとして、最低音はバスかわずか八人で、しかもバスとしては音量のおちた高域ですから、バランスの上で非常な弱音となっています。
なおもっとくわしく観察すると、最高のC音三十人はオーボエ2、クラリネット1で補強されているのに(A参照)、最低部のバスはわずか一本のファゴットを重複しているのにすぎません。
これでバスだけとって見ても、はじめの小節でA線の上で豊かなCresc.をした後、強音(フォルテ f)になるべきところで、G線の上の腰のぬけた貧しい音にかわります。
それゆえに、この第三オクターヴ(最低)を補強しなくては、f に底力がでません。
(B)をごらんください。ファゴットの一番を八音(オクターブ)下げて、バスと同音をひくように変更したのはその理由からです。これで第一小節のCresc.の後を受けても、f の音の外郭にいくぶん力がはいるようになりました。
これはほんの一例に過ぎません。しかしこの細心の注意をもって、たとえ何百小節でも原作者の意図を生かすことが、後の指揮者のいちばん重要な使命であることには疑いを入れません。
棒の上げ下げなどは、ほんの技術の末節に過ぎないのです。
指揮者にとっては、指揮台に立つ前に、これだけの下勉強をしておくことが、もっとも重要な義務の一つであり、この点で指揮者の有能と無能とが分かれます。
それから近来のようた膨大な弦楽部の統制に責任をもつためには、精密な弓使いの設計をし、それを弦楽部員にはかったうえ、最後的な決定をくだせるだけの理解と特殊た専門的知識ももっていなくてはなりません。
まえにもくり返したとおり、弦楽部は「主食」なのです。そして弦楽器の性能に関しては、本で読んだ知識だけでは、実際の役には立ちません。ここでは、指揮者の音楽人としての体験がものをいいます。
一般的にいって、ピアノ科出身の指揮者より、弦楽出の人たちや、過去にオーケストラ生活の体験をもった指揮者が、よりよい能率をあげている理由は、ここにあるのだと思います。
近衛秀麿著「オーケストラを聞く人へ」より。ご子息の水谷川忠俊様の許可を得て抜粋
近衛秀麿氏は日本にオーケストラもなかった頃、25才でベルリンフィルを指揮した名指揮者です。
この本は戦後まもなく、昭和25年頃書かれた物で、混乱の中多忙な中、良く書かれたと感心するばかりです
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