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労働と経営2001年9月号
この方と1時間
インタビュー
ベンチャーこそ感動を
ゲスト
(株)タイムドメイン代表取締役社長
由井啓之氏
「今まで再生出来なかったようないい音」を特にオーディオマニアでもない人たちにこそ音楽の感動を知ってほしい」。独自の音の再生に関する理論「タイムドメイン理論」を発明し、その理論に基づいて開発したスピーカーで「音のデファクト・スタンダード」を目指す会社がある。株式会社タイムドメインは、京阪奈学研都市の一角、奈良県生駒市の高山サイエンスプラザに入居する。
社長の由井啓之さん自ら「ベンチャー」と称するが、それは、パイオニア、開拓者というニュアンスが強い。「自分の思いを形にし、その思いを共有してくれる人とつながってビジネスを展開していく」という、従来とは異なるスタイルのビジネスの創造に挑む。そういう志を持つ起業家。それが由井さんの「ベンチャー」である。
砂の城の再現とは
−オフィスへ入った瞬間、ジャズのベースを生で演奏しているのかと思いました。これが、由井さんが20年をかけて確立された「タイムドメイン理論」で創り出したスピーカーの音なんですね。
この理論は、これまでの音に対する考え方とはまったく異なる発想だそうですが、その核心の部分をわかりやすく教えてください。
由井 現在も主流の音に対する考え方とは、20HZから2万HZの人間の耳に聞こえる音(正弦波)を成分に分け、その成分の1つ1つを正確に再生すれば元の音になる、というものです。
これに対して、私は、音というのは何も成分に分ける必要はなくて、音の形そのものを再生すればいいんじゃないかと考えたんです。
−ええと、音というのは波だ、とその昔、物理で教わりましたが…
由井 そうですね。波がずっとつながっていく。それは突き詰めると「時間の移り変わり」ということだと思うんです。たとえば、砂の城を浜辺で作ると、だんだん時間の経過と共に、城は崩れていき、元々が何だったかわからなくなります。これを元通りきちんと再生しゆと思ったら、お城の成分である砂をいくらちゃんと集めても仕方ない。形、つまり砂の位置が重要なんです。位置というのは時間です。それをちゃんとしないと、元の形にならない。
ところが、これまでは、砂が一粒でもなくなったらいかんと、砂のことばかり考えていた。でも、それじゃ元通りの音、いい音にはならないんです。私は砂の1粒や2粒なくなっても関係ない。形をちゃんとすれば、元の通りの音、本物の音になる、と考えたんです。
−成分でなく形なんですね。形が音ですね。なんだか、感覚としては分かります。そのせいでしょうか。スピーカーの形も独特ですね。
由井 ええ。形を瞬時に再現しようとすると、アンプもケーブルもスピーカー本体もシンプルで小さい軽いユニットにしないとダメなんです。
−形を保つということは、機動性も要るということでしょうか。
由井 機動性も要るんです。パッと瞬時に動いて、瞬時に止まらないと。
−そうしたら、必然的に小さく軽くなったわけですか。昔の話としても面白いですが、今後の企業の姿と化なさるようで、面白いなぁ。
スピーカーは四角い箱形と思っていましたが、筒型とジェットエンジンのような卵形になったんですね。
由井 この形だと、どの位置からでも音がちゃんと聞こえるんですよ。
「つながり」と「口コミ」がすべて
−これらは、今、どうやって製造、販売されているんですか。
由井 卵形の方は、今年の5月から自社ブランドで発売を開始しているんですが、それまで1年間は、富士通のパソコンのバンドル・スピーカーだったんです。それがモデルチェンジになったんですが、スピーカーだけで欲しいというお客様の声が強くて、5月21日からタイムドメイン・ミニ(以下TDミニ)という商品名で発売しているんです。生産の形は、中国で昨年20万台製造したラインを使わせてもらっています。
もう1つの筒型の方はYoshii9(ヨシイナイン)といって、去年の12月から販売しています。こちらは、東大阪のアルミ加工業の方だとか、10社くらいの地元企業にネットワークを組んでもらって、そのうちの1社がまとめ元になる形で製造しているんです。
−それぞれどのくらい売れているんですか?
由井 TDミニが5月からで約1千台。Yoshii9が5百台。うちはほんとに小さな会社ですから。これといった広告はしていないんですが、口コミと、各地で実施する実演を聞いてくださった方が「欲しい」と言ってくださるんです。
小さくても本物の音、いつでもどこでもよい音をというつもりで、世界最高でしかも誰でも「欲しいなぁ」と思ったら手が届くものにしたい、そういう思いでつくっているだけに、うれしいですね。
元々人のネットワークで育ってきて、人のネットワークで品物が世に広がっている。つながりだけでやっているようなものですよ。
夢のような創業
−そもそも起業されたきっかけ、経緯を伺えますか?
由井 元々は音響メーカーで音の研究と商品開発をしていたんです。そこで、20年ほど前にタイムドメイン理論の原形を思いついて、ホーン型のスピーカーを開発したりもしました。それは、非常に評価されて、海外のオーディオショーなどでずいぶん受賞もしました。けれども、1セットが当時で240万円。とても誰でも手が出るものではなかったんです。さらに社内の大勢は、お客というのは音の善し悪しで買ってくれる人は少なくて、デザインや値段で買う人がほとんどだという考えで商品開発が進められていました。それはその通りなんです。
しかし、本当に音がよければ、それだけでも買ってくれる。いくらそう口で言っても、それじゃ本当のいい音というのはこれだ。これならみんな欲しがるでしょうというのを自分で作り上げなければいけない。それは、そこの会社では作り上げられなかったわけです。それでいよいよ明日には部署を移る、という日の夕方に、当時、ベンチャー起業家の旗手として活躍中だったアスキーの西和彦が、たまたま知人の紹介で、私の研究室に見えたんです。「すばらしい音ですね」と感動してくださったので、「いやこの音は今日が最後なんです」とお話したら、「それじゃ、うちのラボ(研究所)ということで支援しましょう。世界一のシステムをつくってください」とおっしゃってくださったんです。それで96年の12月から、この高山サイエンスプラザに入居して、いよいよ自分の作りたい、目指す音づくりに取りかかったんです。
−はぁ、まるで絵に描いたようなベンチャー物語ですね。
由井 いや、ところが、ご承知の通り、その後、アスキーの経営が非常な混乱に陥りまして、ここもリストラの対象になったんです。ところが、その通告に来られた新経営陣の方が、やはり、うちの音を聞いて「これは育てるべきだ」と、その後も1年間ほど、支援していただいたんです。しかし、どう展開していいか分からなくて、99年の年明けでしたか、ついに支援打ち切りになりました。それでも、それまでの累積経費はすべて先方負担、備品はすべて譲渡してくれるなど、ずいぶん、ご配慮いただいたんですよ。
けれど、切り離されたら、たちまち資金は底をつきますから、そこからはもう、一挙に小企業経営の苦労の連続。波乱万丈です。
−これもまた、ドラマみたいですね。それで、経営の方はどうなったんですか。99年というと貸し渋りで、銀行からの融資なんて、非常に難しかったでしょう。
由井 ええ。今以上に厳しかったです。しかし、支援はなくなったし、まだ売り物はないしという状況です。それで、地元の信用金庫に「お金を貸してください」と行ったんです。そうしたら、支店長が試作品を見に来てくれて、音を聞いて「これはすごいですね。私もがんばってみましょう」と一生懸命申請書を書いてくださったんです。でも、うちみたいな、まだ何もない起業への融資なんて、内部審査ですぐ没になるのが普通です。それで、その支店長さんは申請書の最後に「聴かなければ分からない」と書いてくださったそうなんですよ。そうしたら、本部の部長、最終的には理事長まで聴いてくださって、融資していただいたんです。
その後、県のベンチャー支援機関や地方銀行にも支援いただけるようになりました。
それで、何とか、自立後の企業の姿を堅持することができたんです。
−まさに一聞は百見に如かずと言いますか。本物はすべてに勝る説得力を持つんですね。
いつもそこに音がある
由井 そういうことですね。何もかも、人のつながり、いいものを認めてもらった人のつながりで今日までやってこられたんです。製造部分でも、東大阪の中小企業のみなさんが、ただ儲かるかどうかだけで受け止められたら、ネットワーク製造の話はなかったと思うんですよ。だけど、やっぱり、試作の音を聞いて、「何とか自分たちでできるから、つくりましょう」と、乗ってくれたんです。
TDミニが富士通のパソコンの標準装備になた時も、同じです。本社内では、奈良の社員5、6人のわけの分からない会社に頼まないで、大手のスピーカーメーカーと提携した方がいいんじゃないかという反対があったんです。でも、本社の部長が来られて、実際の音をきいて「これを採用する」と判断されました。
そうしたら、最初12万台の予定が結局20万台つくり、しかも、このスピーカー搭載モデルから先に売り切れたんです。
−東大阪との出会い、きっかけというの、どういうところから始まったんですか。
由井 初めは、仕切ってくれている会社にすべて生産委託するつもりだったんです。しかし、そこが中堅企業で、社内体制を整えるのに時間がかかりましてね。Yoshii9 の試作品200台を作ってもらった段階で、本格生産への移行がスムーズに進まなかったんです。
それで困って、機動力よくつくってくれるところはないかと東大阪の商工会議所に行ったんです。そうしたら、いきなりその場で数社に声をかけてくれて、それでやりましょうということになったんです。
ただ、うちも、東大阪の仲間の1社1社も小さいので、製造資金がすぐには融通できない。別プロジェクトで提携している会社にお願いして、実質的な資金援助と生産管理をしてもらったんです。さらに、面白いことに、その社内にタイムドメイン事業部というのができまして、うちから技術をライセンスして、自社製品の開発にも乗り出し始めているんですよ。
−人の出会いがあって、それがすべて音に納得してつながり合っているんですね。すごい説得力だな。
由井 音に関連した何かと比較して「うちの方がいい音でしょう」だったら、ここまで人があるまらなかったと思うんです。今まで、これと言って音に興味があったわけでない人たちが、聞いたとたんに「すごい」と思ってくれる。
結局抜群の本物だったら、そういう説得力を持つということなんですね。でも、自分で「これは」というところまでやらないと、話は進まない。そこまでは自分でやらないと。実物の本物を見て、聴いてもらったらみんな動いてくれます。
感動があるんですね。それがなくても損得勘定だけじゃ動かない。感動があるから、お金を貸しましょう、製造をやりましょう、協力しましょう、そういう話になるんです。感動できるレベルの商品、ものがないと人は動かないんです。
ベンチャーは人が頼りですから、ベンチャーが感動しないものをつくっていたら、誰も見向きもしてくれません。
−ベンチャーこそ感動を創り出す。
朝市精神
由井 今、お客さんも、ほとんど口コミで買ってもらっていますが、それも説得力があるから、できるんです。それを私は「朝市精神」と呼んで知るんです。
朝市というのは、自分が一生懸命つくった農作物や水産物を、お客さんと対面で自分の思いを伝え、納得して喜んで買ってもらうわけです。TDミニやYoshii9の売れ方がまさにそれなんです。
どこかで実演をやってすばらしいとお客さんに喜んでもらう。それを社に戻ってみんなに言うと、それはよかった、じゃ、次はこうしようとまた話し合う。それが朝市精神です。
−そういう口コミの販売をどう広げていくかというのも挑戦ですね。インターネット時代ではあるけれど、このTDミニやYoshii9の音はそれでは伝えきれない。
納得する商売がどこまで従来の宣伝する商売やインターネットを越えていくのか。
由井 実は、この秋から百貨店の外商部でYoshii9を扱ってもらうという話が進んでいるんです。百貨店の外商部もいわば口コミの世界です。それにはうちの商品はちょうどいいそうで、外商部の社員の方たちも、お客さんに喜んでもらえると喜んでいるそうです。これも朝市の延長線上の売り方だと思っているんですよ。
最高のものを皆さんが手に入れられる価格でとどけたいのです。
ひらめきの瞬間
−ものをつくるというのは、技術力もですが、やはり発想力というか展開力なんですね。
由井 そう、そうですね。独自の発想力ですね。
−そのひらめく瞬間って?
由井 昔から言われていますが、あらゆることをやり尽くすんです。とことん。これもダメ、あれもダメ、全部ダメだった、しょうがない。今度こそ、店畳むかな。そういう時にパッとひらめく。今までの失敗が全部ベースにはなっているんだけど、まったく質の違う発想が生まれてくるんです。それまでの問題が全部クリアされ。その瞬間に鋭い喜びがある。
Yoshii9もそうでしたよ。アスキーの支援も切れた、人もいなくなった、心労で高熱を出した。そういう中でパッとひらめいたんです。で、次の日、さっそくアクリルパイプと茶こしと安いケーブルを買ってきて、1人で試作してみた。そうしたら、思い描いた以上の音になった。忘れもしない、99年の10月21日のことです。
本当に不思議なんですが、これまで何度も、もうダメだ、これは不可能だという事態が幾度も巡っているんですが、そのたびに何とかなっているんですね。
−本当の想像力と創造力ってそういうことでしょうし、そうやって生み出された「本物」は絶対生き続けるのかも知れません。
それにしても、これだけものづくり、自分の思いを持って創り出すということに取り組み、それを広げようという志を持った起業家にお目にかかることができたのは、本当に幸せでした。本日はどうもありがとうございました。
(2001年7月25日、奈良県生駒市の高山サイエンスプラザ内、タイムドメイン本社オフィスにて −本誌・田中のぞみ)
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