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グローバル奈良2001年3月号

オーディオは文化。奈良ジャパンから世界へ。

Live with Nara

音響エンジニア

由井啓之

いい音で音楽が聞きたい。
オーディオファンならずとも、こう思う人は多いだろう。
しかし、本当にいい音とは何なのか。その一つの答えを出した人が奈良にいる。
音響機器メーカー「タイムドメイン」社長、由井啓之氏。
“音”そのものにこそ心を動かす力があると信じて、これまでにない理論をもとに 故郷の奈良に戻ってベンチャー企業を立ち上げた。
ビル・ゲイツも絶賛したというその音を、まずは自分の耳で聞いてみたい。

シンプルな形には理由がある。
 「それでは聴いてもらいましょうか。」そう言って案内されたのは、ごくごく普通のオフィスの一室。吸音壁でもなければ、オーディオセットらしきものも見当たらない。ただ、部屋の真ん中に、日本の細長い筒がポツンと立っているだけ。「まさか、これがスピーカー?」
 そんなこちらの気持ちを知ってか知らずか、「まぁ、座ってください」と、由井氏はおもむろにCDをセットした。流れてきたのはピアノの音。一瞬、どこから聞こえてくるのかわからなかったが、よく見ると筒の上部が激しく振動している。食い入るように見る私に、「離れて聞いたほうが違いがわかりますよ」と由井氏が笑いながら声をかけた。言われるままに部屋の隅に立ってみると、音は小さくではなく、やわらかくなったような感じ。まるで、その場で演奏されているような臨場感が伝わってきた。
 「普通のスピーカーでは、音に方向性が出てきてしまう。だけど、これだと音が自然に聞こえてくるんです。」一見、奇をてらったように見える形も、「一石五鳥にも六鳥にもなっているんですよ。円筒形にしたのは、四角形よりも余計な振動をしないという理由から。こんなにコンパクトなのも、そうしようと思って作ったんじゃない。そうなってしまっただけなんですよ。」一つ一つ丁寧に説明されると、ただただ納得することばかり。それでも思わず「結局、今までとは何が違うんですか?」と聞いてしまう。「何が違うのかと聞かれれば、全部としか答えられませんね。理論そのものが違うのですから…」

本当の音とは何か。四十代からの出発。
 由井氏が“音”に目覚めたのは意外に遅い。20年ほど前、長い入院生活を余儀なくされていたときのことだ。「テレビを見ても、本を読んでも、気持ちは少しも紛れなかった。だけど、レコードを聞いていると、不思議と心が休まったんです。そのとき、音楽は“究極の癒し”になるのではないか、と思いました。」
 本人いわく「たまたまオーディオメーカーに勤めていた」こともあり、退院後は“音”を追い求める人生を歩むことに。「すばらしいオーディオセットがあると聞けば、北海道から沖縄までどこへでも行きましたね。何百万円もするものや、この道何十年という人…。確かに、どれもすばらしかった。しかし、私の心を動かす音は一つもありませんでした。」
 なかば諦めかけていた由井氏の頭にパッと浮かんだのが“時間”という概念だった。「いくらお金をかけたり経験を重ねたりしても、目指す音には近づかない。理論自体がおかしいのではないか、と思うようになりました。もともと音というのは、時間によって変化する空気の圧力。これまでのように周波数ばかりを考えていたって、心を動かすような本当の音は出せないんですよ。よく似た音は作れてもね。だから、私は、鳴ってから聞こえるまでい時間がかかる、という音の特性を考えながら、原音を忠実に再生しようと思ったんです。」
 難しい専門用語は一切なし。むしろ、言われてみれば当然と思える“コロンブスの卵”的発想だ。それでも、「最初は誰も相手になんてしてくれませんでしたよ。それまでとは、まったく逆ののことを言っているわけですからね。でも、結果として私みたいな素人でもいい音を出せた。それこそ、この理論が正しいことを証明しているんです。」謙虚な姿勢のなかにも、絶対的な自信。それは、決して既成概念にとらわれない客観的な支店と、それを実現させるプロの技術の裏付けでもある。
 「世界最高のものは作りたい。でも、それが一部の人しか楽しめないものなら意味がないと思うんです。誰でも手に入れられる値段で、知識がなくても扱える。そして、いつでもどこでも聞くことのできるオーディオ。それが私の目指したものなんです。」

奈良ならではの音づくり。
 研究段階からスタートした会社も、今では全国のイベントを音響面でサポートするまでに成長した。取材のイベントを音響面でサポートするまでに成長した。取材の数日前にも、野外で行われた能イベントに参加したばかり。微妙な音が遠くのほうまで聞こえると好評だったという。「本当にいい音なら、知らない音楽にでも聞き入ってしまうものなんです。日本には、笙(しょう)や篳篥(ひちりき)や尺八など、日本固有のすばらしい音がある。それらを世界の人に知ってもらうためにも、日本文化発祥の地・奈良で研究していることには意味があると思っています。
 “奈良でもできる”ではなく“奈良だからこそできる”音づくり。それは音そのものを見つめた結果なのかもしれない。
 「これまでの日本は、実用的なものを追い求めすぎました。その結果、安くて性能がいいものはたくさん生まれた。しかし、本来オーディオは文化的なもののはずです。そして、日本にはちゃんとした文化がある。経済を優先してきた20世紀の東京ジャパンから、21世紀は文化を発信していく“奈良ジャパン”の時代になるのではないでしょうか。」
 本当にいい音を、一人でも多くの人に…。2本のスピーカーを片手に、社長自ら世界各地を訪れることも多いという。「イギリスの空港では、バズーカ砲に間違えられたこともあるんですよ。いくら説明しても理解してもらえないから、その場で聴いてもらいました。結局、コンサートになっちゃったんですよ。」そう言って笑う顔には、世界への気負いなどは微塵も感じられない。最初から“対世界”“対東京”などという考えは持っていないのかもしれない。本当の意味でのグローバル化が、今、一人の夢から始まり、奈良から世界へ広がろうとしている。

由井啓之(よしいひろゆき)
1936年、田原本町生まれ。97年、関西学研都市に音響機器メーカー(株)タイムドメインを設立。“心のオーディオ”を目指して、時間をキーにした独自の「タイムドメイン理論」をもとに研究・開発。イベントの音響サポートや、積極的に世界各地で試聴会を開くなどして、早くから国内外から注目を集める。昨年6月、念願のオーディオシステム「Yoshii9」を発売。また、パソコンのスピーカーなども手がけている。