「こうぎょう」2001.2(Vol.637)
社会・文化委員会
モノづくりと社会・文化
企業探訪
第2回
本会社会・文化小委員会委員/朝日放送(株)経営企画室局次長 藤沼 純夫
本会社会・文化小委員会副委員長/(財)千里国際情報事業財団情報システム科学研究所所長 土井 勉
画期的な手法による世界一のオーディオ機器メーカー
−株式会社タイムドメイン−
会社プロフィール
(株)タイムドメイン
精神の豊かさが求められるこの時代に、心の糧となる美しい音を多くの人に伝えるために、商品開発や他社への技術提供を行っている。また、タイムドメイン技術による音響システムでイベントを支援することにより、社会に貢献することを目指している。タイムドメイン理論によるオーディオシステムを開発し、2000年7月に「Yoshii9」を発売。今、注目を集めつつあるベンチャー企業である。
設立:1997年
資本金:1,000万円
社長:由井啓之
従業員:8名
所在地:生駒市高山町8916-12
http://www.timedomain.co.jp/
自然音を引き出す画期的な方法
近鉄奈良線・学園前からバスで20分、なだらかな丘陵の向こうには、学研都市の建物が立ち並んでいる。生駒市高山町、奈良先端科学技術大学院大学の北側に隣接する建物の3階に、まるで大学の研究室のような(株)タイムドメインのオフィスがある。1メートル余りの円筒形のスピーカーが2本、オフィスのフロアーに立っている。見慣れた箱型のスピーカーと違った、とてもシンプルな装備である。亀の子型の小さなアンプに細い線がスピーカーにつながっている。由井啓之社長(64歳)は、何か聴いてみますかと床の上に並んでいたCDの1つを拾い上げる。プレーヤーは、携帯用のCDウォークマンだ。
ジャズが流れてきた。ライブの演奏、キース・ジャレットの有名な1975(昭和50)年の「ザ・ケルンコンサート」である。音が押し寄せてきた。会場のしわぶき、ジャレットの演奏に入るときの低い笑い声が入っている。思いもかけぬほどすぐそこにジャレットがいるような床音、ピアノタッチの指音、息遣い、吐息、"音の粒子がそのまま伝わるような臨場感"がある。試聴した本会のメンバーからは、一様にホウと驚きの表情が読み取れる。続いて聞いた「スズメバチの飛行」のCD音は、すぐ近くで飛び回り、今にも刺されそうな蜂の羽音が耳の周りで聞こえてくる。
この音の秘密こそが、由井社長がビジネスモデルとして打ち立てたタイムドメインの理論である。いかに音の自然音を引き出すかが由井社長の20年来のテーマであった。事業化の見通しがつき、製品の販売を始めたのは、昨年7月からのことである。画期的な音は、聴いた人のさまざまな反響を呼び、生産が追いつかない状況である。
新しい音響理論に基づく商品開発
タイムドメイン理論は、その言葉どおりキーワードはタイム「時間」。音は、空気の圧力の変化、それは時間とともに変化する。音の形を時間に合わせて忠実に再現する。従来のスピーカーから再生される音は、音を周波数成分の和とする「F(周波数)ドメイン」の考えによる。音を周波数の成分で表わすことはできるが、周波数成分で成り立っているわけではない。従来の理論である「周波数成分を忠実に」という考え方が、原音との間で微妙なズレを生じさせ、自然音の味わいを失わせていることに気づいた。きっかけは20年前に入院生活で音楽ばかり聴いていた時期があった。本当の音楽の良さや自然音が人の心を癒すことに気づいた。由井社長は、大手オーディオメーカー、オンキョーに入社し、研究所で研究開発に当たる。そして新しい音響理論「タイムドメイン理論」に基づく開発を進め、1984(昭和59)年にスピーカー「GS-1」を発表、国内ではオーディオ関連の各種大賞を受賞した。またパリのHiFiショーでは、日本人初のジョセフ・レオントロフィーのグランプリを獲得するなど輝かしい略歴を持つ。
しかし由井理論は、従来のスピーカー理論を根本から覆すものである。実現のためには、モデル、生産設備やライン、技術などを大きく変えねばならない。折からの景気後退の中で、開発研究より普及型の研究しかできなくなった。由井社長の夢は、マニアのためではなく一般家庭に手が届く価格で、世界最高のオーディオをつくることだった。由井社長は大きな会社規模では生産できないと判断、オンキョーを退職。4年前に独立して開発研究を重ね、(株)タイムドメインを設立した。
商品化された現在の円筒形スピーカーの特徴は、ユニットがゲル状のものにのっており、マグネットには棒状の長い重りが取り付けられていることである。これがユニットに対して仮想の大地となり、ユニットを安定固定させている。その重りには吸音材を巻きつけ、筒の内側にも吸音材を貼っている。これがユニットの振動に悪影響を及ぼす音を吸い取ってしまう画期的な仕組みである。素材はアルミパイプを加工したもので高さ108.5センチ、直径9センチ、すべての方向に音が伝わるよう、筒の上部から上向きに音が出る構造になっている。アンプも改良を重ねた手の平サイズのもので、わずか12ワットの出力である。スピーカー2本とアンプのセットで30万円という奇跡的な商品だ。
昨年夏に大阪、広島、京都、東京の他ロンドンでも試聴会を行い、大きな反響を呼んだ。サウンドの素晴らしさは、実際に試聴したビル・ゲイツ氏も自分の7,000万円のステレオより驚異的な音、強い感動を覚えたと絶賛したとのことである。また、試聴会での反響の輪は、インターネットを通じても広がっているようだ。韓国では最大宗派の教会から、病院では癒し系の音楽として、大学の語学教育では発音が明瞭に聞き取れるなど、既に2,000台を超える引き合いがきている。さらに音楽家など専門家だけでなく、特に一般家庭の女性からの反響も強く、まさに由井社長の夢が実現に向かっているようだ。また、富士通との間で、パソコンのスピーカーのライセンス提携ができ、FMVにバンドルされ昨年5月から発売、大変好評である。
創造的な企業は関西で
現在日本のベンチャー企業には、産業政策的にはほとんど補助がない状態である。独立し事業が軌道に乗るまでには、相当の投資を必要とする。由井社長の事業も、注文の見通しはあるものの資金繰りには大きな苦労があるようだ。入金がなければ、製造会社に発注できない。製造サイクルは比較的短いが、完成した製品の点検には時間と労力がかかる。残された課題は、製造と販売ルートの確保である。こうした企業基盤の整備ができればベンチャー企業としては、大きな成功例となるであろう。
由井社長は企業理念について、「ベンチャー企業はオリジナルな技術がなければ成り立たない。理論をクリエイトし、技術、市場もクリエイトしていくことだ」と語る。そして心の感銘を大切にする"ハート・トゥ・ハート"をモットーに、「感銘を受けて人から人に伝わってほしい。そして販売につながればいい」と考えている。熱心なシンパがエージェントとなり経営を支援しているのも強みである。さらに、由井社長は地域とのこだわりとして、日本文化発祥の地、故郷・奈良に強い思い入れがある。「量産の都市東京からは、文化的、創造的なものが世界に広がらない。創造ある企業は伝統文化のある関西で育て、世界にアピールしたい」と語る。関西企業人としての頼もしい顔が見える。
インタビュー後記
(株)タイムドメインを紹介するきっかけは、偶然によるものだった。東大阪市の商工会議所で「最近話題になっているベンチャー企業がある」とほとんど噂のような話から電話取材で企業名を知り、日経のインターネットで探り当てたのである。
由井社長は、この業界では、知る人ぞ知る存在であった。戦後の日本企業を支えた企業技術者の、匠のひとりだと思う。創造的技術を追求し、理想を実現するため60歳で企業を立ち上げた。今後の課題は持論にあるとおり、市場をクリエイトして企業を強化拡大することだと思う。しかし起業家として成功への道はまだまだ容易ではない。このような可能性のある企業を発掘、支援し、関西経済の発展につなげる方策を大阪工業会の委員として考えたいと思う。
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