「JAS journal」 '95.9月号
往年のオーディオの名機を語る
オンキョー スピーカーシステム GS-1について
由井啓之
早すぎたスピーカー
「Grand Scepter GS-1」は84年7月発売以来10有余年を経ていますが、まだ、「往年の」と呼ばれる古典的名機ではなく現役機として生産を続けています。1990年には欧州で正規販売を始めましたが「早すぎたスピーカー」との評価を受けました。10年を経てやっとGS-1を鳴らせる機材が整って来たということです。
我々やユーザーは10年待ちましたが、今の最高の機材でも充分で無いことが分かったので、GS-1に相応しい機材の開発を真剣に始めました。アンプの研究を始めて、今でも早すぎたスピーカーであることを実感しています。
開発のプレリュード
GS-1を開発する前にSL-1と言うスーパーウーハーを開発しました。これを持って全国の専門店やユーザー宅を巡りました。高級スピーカーにこれを付加すると音のグレードが格段と向上します。しかしそのうち高級スピーカーに不満を持つようになりました。
それで、良い音の限界を求めて全国を行脚したのですが、年月を注力してもこれぐらいがリミットなのかと、オーディオの限界を感じました。
SL-1開発の前、1年余り入院しておりました。治癒の見通しのない病気では家族や友人の言葉も慰めにはならないし、読書で気が紛れるわけでもありません。その時初めて音楽の価値を知りました。身動きの出来ない病床で、会社の仲間が持ち込んでくれたDual
のオートチェンジャーとSTAXのコンデンサーヘッドフォンで終日音楽を聴いていました。
退院後、本当の音楽を再生出来る「心のオーディオ」を、と取り組んだスーパーウーハーで音楽再生に近付けただけに、この行脚の結果には、落胆しました。オーディオはあっても心を打つ音楽は再生出来ていなかったのです。
ヨーロッパ聴き歩き
「本物の音楽」行脚に、今度はヨーロッパへ出張させていただきました。1980年の暮れから1981年に掛けて1ヶ月程、毎日毎日素晴らしい音楽が聴けました。
初めてのパリのオペラ座で、ベラネック氏が著書「音楽と音響と建築」で良いとされていた2階正面席で聴いた音は驚きでした。
その後次々聴いた音楽はオーディオがとてもかなうところではない、と言う感を深めました。しかし、究極の音をウイーンのミュージックフェラインザールで聴く頃には、少しずつ問題が整理出来、かすかながらも希望と手がかりが見えて来た様に思えました。
生演奏でも、日本のホールでは何故この様な音が聴けないのか。オーディオ装置は、物理特性が格段と良くなったはずなのに、何故音は良くならないのか…。とは言っても、本物を日本で聴くにはオーディオを手段とするしかないのではないか、等。
こう考えてオーディオ行脚を思い返すと、まれではありますが、部分的には感銘する音をあちこちで聴いていたことに気付きました。従来の普遍的な理論・技術の延長線上には無さそうだが不可能ではない、と思えました。
時間ドメインの考え
Keyは時間的なものにあることは直感していましたので、帰国後、裏付けの実験や勉強を始めました。参考書籍にも疑問を感じて、次々と根元に逆登っていくと、オルソンやフーリエに至ってしまいます。
この辺まで来ると疑点も無く全て納得出来ます。どうも後世の人達が50年もの間に変な方へ引っ張って行ったのではないかと、いろいろな場面で感じました。モーゼの十戒が、キリストの時代には、パリサイの徒達によってすっかり本質を曲げられてしまったように。
コンピューターを道具に
研究が会社でオーソライズされていないこともあって、理論を実証するホーンシステムを製作するのは困難でした。最初のバーチャルではない実験は、ヴァイタボックスのツイーターホーンのスロート付近にある3枚の整流板を外すことから始まりました。何日か掛けてヤスリで削り取ると素晴らしい音になりました。面積変化はハイパボリックからは大きく外れてしまいましたが、エッジ反射による音の乱れが無くなったのです。
何とか予算も認められたので、当時NHK技研で見たコンピューターApple IIと12Bit のA/Dコンバーターを手に入れ、自作インターフェースとプログラムで測定解析を始めました。
Apple II は最後には4台をネットワークして使うに至りましたが、波形解析 、相関、FFT、累積スペクトラムから始まって、測定器やマイクをコントロールしての音波面の伝搬観測、ホーンのシミュレーションや筐体振動のモーダル測定、ホーンを削るNC機のコントロール、実信号の畳み込み等、無尽に活躍してくれました。
これが無ければ時間系での研究は不可能だったと思います。累積スペクトルをプロットアウトするのに1日、縦横各50点、2,500ポイントの空間でインパルス応答を測定し、進行する波形を図示するのに2、3日を要したと思います。8bitのコンピューターと300kのフロッピーでどうしてやったのか今では思い出せません。
ホーン実験はコンピューター上で繰り返し、時々NC加工機で石膏モデルを作り測定試聴をする、と言う過程を繰り返し進めました。
マイクで拾ったインパルス応答がアンプの出力そのままのような理想形で再生出来るようになり、波形が忠実に再生出来るようになると、これが本物の音であることが分かりました。
全てが未経験未知の分野であっただけに発見の喜びも多くありました。
大勢の方の助力
SL-1の経験があるとは言えスピーカーに取り組むのは初めてでありますし、新しく開発した技術理論は当時のオーディオ技術や理論の通念を覆すものであったり、参考書籍や、オーディオ専門誌の諸記事に反するものも多かったので不安も常にありました。
商品の根拠となる技術理論が間違ったものであってはいけないのと、すでに関心を持たれ始めた技術理論を紹介し、評価していただくため、発売の1年ほど前からオーディオ専門誌に連載を始めました。
理論技術については、これまで多くの機会に書いていますし、紙面の余裕もありませんので、今回は触れないで置きます。
連載の反響は大きく、「言われれば確かにそうである」「気が付かなかった」「納得できる」との意見や励ましが、毎回多く各方面から寄せられ、自信を持つことが出来ました。
研究初期の段階から多くの方に援助を戴き、おかげで出来たものと感謝しております。高度な数式に行き詰まる度にスマートに解いていただいた東芝の大川氏。発見した時間系の諸歪みに的確な名前を考えて下さった北大の伊福部先生等、学会関係の諸先生方にも大変お世話になりました。
試作機の音でシンパをつくる
多くの方に研究室に来ていただき、研究段階の音を聴いて頂くと、必ず協力していただけるので、常にこの手を使わせていただきました。萌芽の段階で、魅力と可能性を見いだしていただけたからだと思います。
要求の難しい諸材料や加工についても、商売を度外視して、時には会社に内緒で開発研究いただきました。
初めて音楽を再生出来るスピーカーとして、大フィルの方達の全面的な協力を得ることも出来ました。音楽のほとんどの要素について忠実度を練り上げることが出来ました。
研究室の隣のスタジオに楽器を持ち込んでいただき、マイク入力を直接再生して、音色から奏法、表情までの正確さをチェックしていただきました。
コントラバスを例に様子を説明しますと、楽器の銘柄の音の差は正確に出るか?スタッカートの切れが正確に再現できるか?音程の変化は?他の楽器例えばチェロと一緒になったときの音色は?等々です。
これらは従来のスピーカーではとうてい不可能なことですが、GS-1ではできるのです。それができるだけに、先生方も熱心に、演奏者へレッスンをつけるように、シビアーにダメを出されます。
全て、時間特性を良くすることで、難問に応じることが出来ました。
ストラディバリウス、ガルネリ他各種のヴァイオリンの名器を持ち込んで戴いたこともありますし、何台ものチェンバロを持ち込んでいただいたこともあります。将来録音媒体や周辺機器が向上すれば、この時確認した本当の音が再生出来るはず、と楽しみにしております。
音楽再生能力の仕様
カタログには、周波数特性や、歪み、出力など、音の良さを示すことにならない物理特性の記述は廃して、音楽再生能力を客観的に表示したいと考えました。
作曲家の草野先生にお願いして、「このディスクの、ここを聴くと、このように聴こえる」と客観的に使用していただきました。これで歴然と、音楽再生能力の差が観測できるようになりました。オーディオ誌の広告にもこの方法を採用しましたが、これは大変好評で、音楽とオーディオの関係が良く判ると喜んでいただけました。
オーディオ評論家の先生方にも大変お世話になりました。初めて社外へ持ち出して菅野先生宅へ持ち込みました。バラバラな、奇怪な形をした汚らしいバラックセットを組み立てるのを驚いて見てられましたが、音が出ると「これはどうしたことですか、信じられませんね」と驚いて喜んで下さいました。江川先生は独創のマイクによる試聴法で聴いて直ぐ、うれしそうな顔で「まいりました」と一言おっしゃいました。
以後も諸先生方には、汚らしいバラックセットを聴いて頂いては育てていただきました。
10年早すぎて困ったこと
発売は好評でした。春日二郎社長を始めとして同業会社の社長さんや、競合会社の技術者の方達から祝福の手紙をいただきましたが、前例のないことだけに喜びでした。
好評に対応するのが大変でした。性能が当時の常識を越えていましたし、当時の機材を工夫してまともな音を出すのは大変でした。スピーカーをGS-1につなぎ替えただけでは、今まで再生出来なかった機材の悪いところが全て見えて、悪い音になるのが普通でした。結局は、出来る者2、3人で全国をカバーしなければならなくなりました。
販売店やユーザー宅では、コンセントの清掃から始めてGS-1のセッティング、アンプや機材類の整備をして、良い音が出るまでは1日仕事でした。音が良くなると「このレコードにはこんな良い音が入っていたのか、あれはどうだ」と夜中までつき合わされるのが普通でした。
初めて訪れる専門店も楽しみでした。批判的な目で眺めていた店主が音が出て来るにつれて目の色が変わって来て、その内、店主の電話で呼び出されたその店一番の音にうるさい顧客が顔を出す、と言うのがティピカルなパターンです。
当時はCDの創生期でしたが、GS-1にとってはまだまだひどい音で、「夢のオーディオ」とはやされていたCDを悪い、とも言えず困ったことでした。
販売店や顧客が自慢にしている超高級アンプにも、GS-1で聴くと不満なものが多かったのですが、スピーカーよりアンプの方が完成度が高いと思われていますので、罪はGS-1が被るしかありませんでした。GS-1用の機材を自主的に開発して下さる人たちも出て来ました。
音響学会でLCOFCケーブルを発表して「電線で音が変わるなんて気のせいじゃないですか」と攻撃にさらされている故日立電線技師長鎌田さんを、芸能山城組の大橋先生と一緒に加勢しました。GS-1の配線は全てノーハンダで無酸素銅を使っていたのですが、これがご縁でスピーカー、ピンケーブルを熱心に開発して下さいました。
GS-1のユーザー
何かの機会に音を聴いて、買わずにいられなかった、と言うケースが殆どです。このクラスを買いそうなハイエンド顧客は2割位。一応装置は持っているという普通のオーディオ層が5割。GS-1を聴くまでオーディオに縁の無かった人が3割位です。
世界的に高名なブランド品よりも高価で、しかも当時ブランドイメージも無かったGS-1を、音を聴いて、どうしても欲しいと言う気持ちだけで買っていただいた方々ばかりです。7割の方が6畳の部屋、中には3畳や4.5畳の方も。常識では身分不相応と言うことですが、これは人間の価値観の問題かと思います。
海外も含めてこれらの方々については一つ一つが物語になりそうです。何年もお目にかかっていませんが、音が良くなる度に、何かある度に手紙や電話をいただいております。大勢いらっしゃるので、はかばかしい対応もしておりませんが、誌面を借りてお詫びさせていただきます。
演劇に出演したGS-1
GS-1をイベントに使って下さる人達も多くあります。少し古い話にはなりますが、スピーカーが主役になった話は、珍しいと思います。
1987年の10月から11月にかけて、東京・京都・大阪での青年座の芸術祭参加公演「国境のある家」に出演しました。
開幕場面、真暗なステージにGS-1が照明に浮かび、「セイシェルの海と小鳥」の波の音が客席までひたひたと押し寄せてくる。周りの観客の感動のざわめきは、初舞台を案じて客席で息を凝らしていた私にも感動の場面でした。
やがて明るくなった舞台では、主人公がインバル指揮フランクフルト放響のマーラーの4番に聴き惚れている、という始まりで、マーラーとGS-1が劇を進めていきます。
劇作家の八木氏が、大舞台でマーラーを再生し得るのはGS-1しかないと思って下さったのは嬉しいことでしたが、音の感動が直接劇の感動に結びつくだけに、心配はひとしおでした。5番のラスト部をフルパワーで鳴らして、大きな感動で劇は終演しました。休憩時間や終演後、スピーカーの好演を話す観客の話を嬉しく聞きました。
パリで聴いたGS-1
発売当初から日本で買って、欧州へ持ち帰られる顧客は何人かおられましたが、正式には1990年オンキョーフランス設立時、現地の雑誌社の要請で出荷したのが始まりです。
フランスの雑誌に次々と取り上げられ絶賛の記事が毎月のように日本に送られてきました。
翌1991年のパリのHi-Fiショウでは思いもかけずグランプリをいただきました。会場の試聴室でGS-1の音楽に感動を受けているパリの人達を後席で眺めて、同行のアンプ技術者と一緒に思わず涙してしまいました。我々が入社した頃、海外オーディオ製品は、あこがれの対象ではあっても別世界のものでした。
パリオペラ座での感動に始まった「音楽再生」の思いが、10年後のパリで、多くの協力者達の思いを集めてスピーカーに結集し、今度はパリの人達の感動を得ているのに、不思議な因縁を感じました。
最近のGS-1
GS-1は買っていただいてもメーカーとしては手間が掛かるばかりの商品ですし、セッティング出来る者達が多忙なこともあって、積極的な販売は出来ない状態ですが、欲しいお客さんは常におられますので要員をやりくりして販売をしております。
「心の時代」を反映して、GS-1を聴きに来る方は増え続けています。例によってオーディオ・音楽関係は3割位です。口コミで広がっているのですが、週に何組か来られます。来週も佐賀からツアーを組んでこられます。オーディオの音に涙していただけるのはここだけの現象でしょうか?
これらの人達は「心のオーディオ」シンパとして研究が製品となる日を待って下さっています。アンプが完成すれば、技術者も育っておりますので、GS-1もどんどん買っていただけるようになります。
GS-1は多くの方の思いと協力で生まれ、今も育っています。技術者冥利に尽きる話だと思っています。いつか世界中のユーザーを訪ね歩いて、オーディオや音楽を心ゆくまで語り合えればと思っています。その日を楽しみに、オーディオの研究開発に専念しております。
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